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大原不動尊の由来、、、その5
  
大原不動尊の坐像の台石に「享保17年壬子年十月吉辰武州橘(たちばな)群川崎領中島村釈宜縁」左品川道洗足道、右池上道と刻してあります。

これは六十六部廻国供養標(1732年)として、川崎の僧、釈宜縁の発願で、上蛇窪村の村民により建てられたものであります。

六十六部とは廻国巡礼の1つで書写した法華経を全国六十六箇所の霊場に、一部ずつ納経する目的で諸国の寺社を遍歴する行脚僧の」ことで、
鎌倉末期に始まり江戸時代には俗人も行い、男女とも鼠木綿(ねずもめん)の着物に、手甲、甲掛股引、脚半も同色のものを用い、死後の冥福を祈るため、鉦(かね)を叩き鈴を振りあるいは厨子を負い、家ごとに銭を乞い歩いた巡礼の人々のことであります。

お不動様の台座は巡礼者の供養をかねた道標で、その上に不動尊が安置されているというのは、いかにも不自然です。
道標が建てられて長い時間が経ちそれ以後不動尊が安置されたと考えられます。

千葉県大原、又は川崎から運ばれる途中、この地に置いていかれた不動尊の言い伝えは真実と思われます。



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